「患者を殺すのは医者だ!」悲劇の医師ゼンメルワイス
2012.11.19

こんにちは。技男です。

そろそろインフルエンザの季節になって来ましたね。 皆さん、マスクやうがいはもちろんですが、こまめに手を洗うことも大切です。 「手洗い」と言えば、「手洗いの父」と呼ばれる医師ゼンメルワイスを抜きに語ることはできません。このハンガリー出身のゼンメルワイスは、今でこそ「手洗いの父」と呼ばれていますが、その生涯は無理解と嘲笑に埋め尽くされていました。

ゼンメルワイスは、1844年にウィーン大学医学部の第一産科に勤めます。産科にはもう一つ第二産科があったのですが、当時、出産の時の産褥熱で死亡する妊婦が第二産科では1%程度だったのに、第一産科では30%もいたそうです。ちなみに、第一産科の出産は医師が、第二産科は主に助産婦と助産婦の生徒が行なっていました。 「なぜ、第一産科で、こんなに妊婦が死ぬのか?」ゼンメルワイスは解明に取り組みます。 そして、ゼンメルワイスはあることに気が付きます。 「第一産科の医師たちは、死体の解剖やったあと、ちゃんと手を洗ってないじゃないか! 第二産科の助産婦たちは死体解剖なんかやらない。つまり、医者の汚い手が妊婦に死を運んでいるんだ!!」この事実に、ゼンメルワイス自身も相当衝撃を受け、自殺まで考えたようです。 ですが、産褥熱の撲滅は自分に課せられた使命だと考え、踏みとどまったのです。 ゼンメルワイスは、解剖をやったあとの医者の手洗いを徹底させます。石けんだけでなく塩素水を使って徹底的に手洗いさせました。自ら見張りにも立ってたようです。 そうすると、さもありなん、第一産科の産褥熱による死亡率はみるみる下がります。 「やったじゃん、ゼンメルワイス! マジ、すげーよ!」 めでたし、めでたし。とはならないんですね、これが。 面白く無いのはウィーン大学の他の医者、特にゼンメルワイスの上司です。 「は〜?、医者が妊婦を殺しているだって〜、手を洗うだけで産褥熱が防げるわけないだろう・・・(というか、そんなことを認めたら、医師の面子が丸つぶれだ)」 上司の策略により、ゼンメルワイスはウィーン大学を追い出されてしまいます。

さて、ウィーンを追い出されたゼンメルワイスは、故郷のブダペストのペスト大学で産科の医師になります。そして、ゼンメルワイスは、そのペスト大学でも手洗いを徹底させ、産褥熱を駆逐します。ゼンメルワイスは、これまでの成果を1冊の本にまとめ、1861年にヨーロッパ中の専門家に送ります。しかし、それに対する反応は全くありません。それどころか、産褥熱を討議する学会で、ゼンメルワイスは呼ばれることなく、ゼンメルワイスの説を非難する声明まで出されました。要するに、欠席裁判です。さらに、当時最高の病理学者とされていたウィルヒョウが、ゼンメルワイス説を徹底的に否定したことが、ゼンメルワイスの息の根を止めました。医学界からつまはじきにされたゼンメルワイスは、最後は精神病院で敗血症により亡くなります。1865年、47歳という若さでした。

ちなみに、ゼンメルワイスの説が正しいことを証明したのは、1870年代に入って急速に進歩した細菌学であり、細菌学の父と呼ばれる二人の天才、コッホとパスツールでした。 しかし、産科学会が頑なにゼンメルワイスの説を否定した根底には、何があったのでしょうね。保身に走る組織の弊害があったことは想像に難くないですね。 さて、ハンガリーには「ゼンメルワイス大学」と呼ばれる大学があるようです。 1969年にNagyszombat(ナジソンバト)大学という大学が名前を変えました。20世紀に入って、やっとゼンメルワイスの功績が大きく認められたのですね。遅すぎるとは思いますが、ゼンメルワイスの冥福を祈ります。

ということで、みなさん、きちんと手洗いしましょうね!